鼻を刺す薬草の香り。清涼感のある刺激。その影に潜みじわじわと口内を犯す甘味。指を突っ込むと骨まで溶けてしまいそうな黄緑色は、水を加えると淫らに濁る。その酒の名は「アブサン」と言った。
▲白濁したペルノー・アブサン
アブサンに出逢ったのは1か月ほど前のこと。Barのメニューに目がとまり、“とんでもないじゃじゃ馬”ということは聞いていたので、興味本位で注文した。なんだ、こんな味か。うまい…のかなぁ。それぐらいにしか思わなかったが、後日、その日の記憶がふと頭をよぎった瞬間、喉が、舌が、猛烈にアブサンを求め始めた。
▲アルベール・メニャン(1845-1908)「緑色のミューズ」
描かれているのは、アブサンを飲むと見えるとされる“緑の妖精”に侵された男
戸棚を漁ると、奥の方からエッジの効いた何やら高級そうなグラスがでてきた。水を注いで試してみる。氷がグラスに触れると、鈴虫の鳴き声を10年磨いたような残響音が部屋を満たした。
未使用なのか、まだシールが貼ってある。Cristal D’Arques(クリスタル・ダルク)。ネットで検索すると、まぁ安くはない。誰も酒を飲まないのに、なんでこんなもんがウチに。大方、結婚式の贈答品などでもらったのだろう。こいつをアブサン用グラスと決め、その夜は心ゆくまで緑色の液体と戯れた。
翌日、グラスのことを母に訊いてみた。
「あぁ、どっかでもらったんやなあ。…そういえばグラスやったらもう一個あるで。あそこにあるから、あんた取って」
大小さまざまな箱が押し込まれた物置の奥に、ひときわ目立つ赤い箱。フタにプリントされた踊るような筆記体を見て、度肝を抜かれた。…バカラだ。酒にも奢侈品にも縁がないウチの物置に、何故クリスタルグラスの皇帝が眠っているのか。
「なんや、あんたバカラ知ってんのか?(バカラしか知らんよ)それなぁ、昔職場で娘のようにかわいがってもらった、ばあさんにもらったんや。そこのばあさんには、動けんようになる前にあんたと旅行に行きたいって、ずっと言われとってな。誘ってくれたらいくでーって返事してたんやけど、お互い忙しいし、なかなか機会なくてな。そうこうしてるうちに、ばあさんほんまに動けんようなってしもて。施設に入りはる前に、くれたんや。これ使って、私のこと思い出してー 言うて。」そのままずっと物置に入れっぱなしだったらしい。
▲物置から出てきたBaccaratの2011年モデル・エトナ
そういえば今年逝ったうちの祖父も、施設に入る前、ひとつ1万5千円もする自分の名前を彫った置き時計を、父母と、僕を含む孫4人、合計5つも買ってきた。見た目もサイズも最悪で、定刻になると毒にも薬にもならないメロディが流れるどうしようもないその時計は、リビングにあるひとつを除いて、すべて物置に納められている。幼い頃親がわりだった祖父のことは今も愛しているし、良い想い出を心から溢れるほどたくさんくれたことに感謝している。ただ、あの時計は要らない。
人間というのはどうやら、自分の死が見えてくると、この世に何か生きた証を残したくなるらしい。そんな想いが込められた、使いたいけど使えない、捨てたいけど捨てられない品物が、この国の物置の数だけ眠っているのかもしれない。もし自分が何かを残す際には、しっかり当人の希望を訊こうと思う。
とはいえ、大人になると遠慮やお返しの面倒くささから、欲しいものというのはなかなか訊き出せないような気がする。「そんなんええですわー」言うて。となると、結局は自分で実用性のあるセンスの良いものを探さないといけない。いやはや、贈り物というのは難しい。
ちなみに僕が引っ張りだしてきたばばあのバカラは、母がカフェオレを楽しんでいる。お酒好きの人は「“光の魔術師”になんてことを!」なんて言うかもしれなけど、僕はこれで良かったと思っている。
じじいの時計4体は、未だ物置で時を刻むのを待っている。いつか、何かのきっかけで、永い眠りから覚めることを僕は願っている。(他力本願)
禁断のお酒、アブサンが気になる人はこちら(うまい、うますぎる)
http://www.absinthe.jp/absinthe2.htm
バカラが気になるお金持ちはこちら(まあ…奇麗やな)
http://www.baccarat.jp/on/demandware.store/Sites-bct_jp-Site/ja_JP/HubPage-WOB?cid=since-1764
0 件のコメント:
コメントを投稿