2014年12月5日金曜日

ハム

ハムがうまい。もう1枚つまみたい。もう1枚つまみたいところだけれど、この「もう1枚」という欲求に僕が従うということは、消費されないはずだったこの列島における1枚分のハムを消費するということで、それはハムを2015年売れる商品へ押し上げることに、ごくごく僅かながら加担しているということで、需要に応えようとしたハム業者が例えば牧場の1区画に8頭入れるところを9頭詰め込む体制に変更したりする訳で、牧場の豚は悲しいことに生まれた時から屠殺場に送られるために人生もとい豚生を歩んでいるのだけれど、生活スペースを1頭分奪われて85のストレスで済むところを105のストレスを抱えながら、宙吊りにされて首から床へどばどば溢れる自分の血を眺めているのかなぁとか、僕の食べたもう1枚が、1頭分の肉からちょうど1枚分足りなかった部分、つまり1枚目のハムが甲という豚の肉で、余剰に食べたもう1枚が乙という豚の肉だった場合、しぶきをあげてじゃばじゃば吹き出す豚の鮮血をもう1頭分眺めることを、僕は顔も名前も知らないどこかの誰かに無意識に命じていることになるのかなぁとか、色々頭をかすめてしまって、僕がハムを1枚食べることで起こりうる因果を順番にイコールで繋いでいくと、ハムがうまい イコール ハムが悲しいということになるのだけれど、なんだかんだ言ってもおいしいので結局ハムをもう2枚食べてしまう。

▲ おいしいハム

2014年11月10日月曜日

自分の石を手に入れました。
石英の小さな結晶です。

梅田のグランフロントで600円でした。
イッセイミヤケから石まで売っているなんて、
すごいビルディングですね。

大きさは3cm角ほど。
手に取ってみると何か自分にぴったり合っている気がして、
つい買ってしまいました。


石のある生活はなかなか快適です。
つるつるの面を撫でてみたり。
匂いをかいだり。
名前を考えてみたり。
尻の穴に突っ込んで抜けなくなったり。

なにより、人間界でくそったれな目に逢っても、
光を浴びて煌めく六角柱を眺めていると、
まぁいいかと思えてきます。

太陽の光を透かしてみても、
虹色のビームが飛び散ったりはしませんでしたが、
窓辺に長時間おいた石を握るとほんのり暖かく、
蓄えられた太陽エネルギーが掌から流れ込んでくるようでした。


この真田幸村を彷彿させる凛々しい佇まいから、
僕より石の方が絶対賢いと思っているのですが、
今のところ何も語りかけてきてくれません。

ただ、昨夜より少し六角柱の背が伸びて、
置いた時と向きが変わっているのは、
僕の気のせいだと信じています。

なにはともあれ、
美しいものをいつでも鑑賞できるのは心休まります。
自分にぴったりで手頃な石があれば、
ぜひ手元に置いてみてください。

※ 風水やスピリチュアル的な意味合いは一切ありません

2014年7月9日水曜日

火葬場へのメロディ

今年の桜の見頃が終わる頃、祖父・塩尻五郎は死にました。

別れは急なものではありませんでした。徐々に身体の機能を失って、未来に何の希望も持てない、施設という名の牢に繋がれた五郎。介護士の方々は本当に良くしてくださいましたが、彼の心にまとわりついた粘着質の憂鬱を取り払うことは誰もできませんでした。

ただ生きているだけの毎日。解放への唯一の道である安らかな死が早く彼に訪れることを、僕は祈っていました。

遺体と対面した時、まずこみ上げてきたのは、永遠の牢獄から解き放たれたことへの祝福の気持ち。しかし、26年間共に暮らした五郎との別れは、重く、鋭利な巨岩となって、僕の背にのしかかりました。

僕は式場から一旦家に帰り、一人車で火葬場へ向かう段取りになりました。車内で何を聴こうかなあ。何も思い浮かびません。どれを聴こうかという迷いではなく、純白の空間に置き去りにされたような、選択肢が一切ない迷い。

しばし呆然としたのち、僕が手に取ったのは、Pocketsの「Pasado」と、坂本慎太郎の「君はそう決めた」が入ったCDでした。

馬鹿みたいに晴れ渡ったくだらない青空の下、車内に響くこの2曲の豊穣なメロディが、僕の心に根を下ろし、茫漠とした荒野を穏やかな草原に変えてゆくのでした。


Pockets 「Pasado」


坂本慎太郎 「君はそう決めた」

2014年6月9日月曜日

じじいの時計とばばあのバカラ

はじめて酒を求めてしまった。もちろん飲み会は好きだし、缶ビールやウイスキーの類を買って家で飲むことはあったが、あくまで酔うための装置であって、そのラインを踏み越えてくることはなかった。しかし、今回は違う。あれをもう一度口に含みたかった。

鼻を刺す薬草の香り。清涼感のある刺激。その影に潜みじわじわと口内を犯す甘味。指を突っ込むと骨まで溶けてしまいそうな黄緑色は、水を加えると淫らに濁る。その酒の名は「アブサン」と言った。

▲白濁したペルノー・アブサン

アブサンに出逢ったのは1か月ほど前のこと。Barのメニューに目がとまり、“とんでもないじゃじゃ馬”ということは聞いていたので、興味本位で注文した。なんだ、こんな味か。うまい…のかなぁ。それぐらいにしか思わなかったが、後日、その日の記憶がふと頭をよぎった瞬間、喉が、舌が、猛烈にアブサンを求め始めた。

▲アルベール・メニャン(1845-1908)「緑色のミューズ」
描かれているのは、アブサンを飲むと見えるとされる“緑の妖精”に侵された男

さっそく通勤途中の酒屋で購入した。700mlで4200円。それまで発泡酒やブラックニッカを飲んでいた自分からすると、大変な高級品だ。帰宅して、うきうきしながら栓を開けた。はふっ。良い香り。すると、今度はアブサンが一番奇麗に見えるグラスで飲みたくなった。

戸棚を漁ると、奥の方からエッジの効いた何やら高級そうなグラスがでてきた。水を注いで試してみる。氷がグラスに触れると、鈴虫の鳴き声を10年磨いたような残響音が部屋を満たした。

未使用なのか、まだシールが貼ってある。Cristal D’Arques(クリスタル・ダルク)。ネットで検索すると、まぁ安くはない。誰も酒を飲まないのに、なんでこんなもんがウチに。大方、結婚式の贈答品などでもらったのだろう。こいつをアブサン用グラスと決め、その夜は心ゆくまで緑色の液体と戯れた。

翌日、グラスのことを母に訊いてみた。
「あぁ、どっかでもらったんやなあ。…そういえばグラスやったらもう一個あるで。あそこにあるから、あんた取って」

大小さまざまな箱が押し込まれた物置の奥に、ひときわ目立つ赤い箱。フタにプリントされた踊るような筆記体を見て、度肝を抜かれた。…バカラだ。酒にも奢侈品にも縁がないウチの物置に、何故クリスタルグラスの皇帝が眠っているのか。

「なんや、あんたバカラ知ってんのか?(バカラしか知らんよ)それなぁ、昔職場で娘のようにかわいがってもらった、ばあさんにもらったんや。そこのばあさんには、動けんようになる前にあんたと旅行に行きたいって、ずっと言われとってな。誘ってくれたらいくでーって返事してたんやけど、お互い忙しいし、なかなか機会なくてな。そうこうしてるうちに、ばあさんほんまに動けんようなってしもて。施設に入りはる前に、くれたんや。これ使って、私のこと思い出してー 言うて。」そのままずっと物置に入れっぱなしだったらしい。

▲物置から出てきたBaccaratの2011年モデル・エトナ

そういえば今年逝ったうちの祖父も、施設に入る前、ひとつ1万5千円もする自分の名前を彫った置き時計を、父母と、僕を含む孫4人、合計5つも買ってきた。見た目もサイズも最悪で、定刻になると毒にも薬にもならないメロディが流れるどうしようもないその時計は、リビングにあるひとつを除いて、すべて物置に納められている。幼い頃親がわりだった祖父のことは今も愛しているし、良い想い出を心から溢れるほどたくさんくれたことに感謝している。ただ、あの時計は要らない。

人間というのはどうやら、自分の死が見えてくると、この世に何か生きた証を残したくなるらしい。そんな想いが込められた、使いたいけど使えない、捨てたいけど捨てられない品物が、この国の物置の数だけ眠っているのかもしれない。もし自分が何かを残す際には、しっかり当人の希望を訊こうと思う。

とはいえ、大人になると遠慮やお返しの面倒くささから、欲しいものというのはなかなか訊き出せないような気がする。「そんなんええですわー」言うて。となると、結局は自分で実用性のあるセンスの良いものを探さないといけない。いやはや、贈り物というのは難しい。

ちなみに僕が引っ張りだしてきたばばあのバカラは、母がカフェオレを楽しんでいる。お酒好きの人は「“光の魔術師”になんてことを!」なんて言うかもしれなけど、僕はこれで良かったと思っている。

じじいの時計4体は、未だ物置で時を刻むのを待っている。いつか、何かのきっかけで、永い眠りから覚めることを僕は願っている。(他力本願)



禁断のお酒、アブサンが気になる人はこちら(うまい、うますぎる)
http://www.absinthe.jp/absinthe2.htm

バカラが気になるお金持ちはこちら(まあ…奇麗やな)
http://www.baccarat.jp/on/demandware.store/Sites-bct_jp-Site/ja_JP/HubPage-WOB?cid=since-1764

2014年6月3日火曜日

Daughter - Tomorrow



う~~ う~~ う~~ う~~
う~~ う~~ う~~
う~~ う~~ う~~ う~~
う~~ う~~ う~~
う~ふぅ~~~~~~
はぁ~~ん
はぁ~あぁ~あぁ~~~~
う~~うぅぅぅ~~~~ん~~

午前4時にはこれの4:00~がいい。
溺死するならビヤ樽より屈斜路湖よりこの40秒間がいい。
この40秒間だけはバスチーユ牢獄が襲撃される前夜から比叡山が焼き討ちされる前夜から既に決まっていたように思う。
もっかい聴こ。

う~~ う~~ う~~ う~~
う~~ う~~ う~~
う~~ う~~ う~~ う~~
う~~ う~~ う~~
う~ふぅ~~~
はぁ~~ん
はぁ~あぁ~あぁ~~~~
う~~うぅぅぅ~~~~ん~~

2014年5月12日月曜日

自分のアゴを巡る考察

鏡に写った左右反転の自分の像は、脳が勝手に醜い部分を修正した、通常より3割美化されたものだと聞いたことがある。僕の脳内フィルターの場合、修正ポイントはアゴらしい。

左右が正しく写っている写真なり映像なりを見るたび「自分はこんなナスビみたいにもっちゃりしていない」と、自分のアゴを中心に不快感や不信感を覚えている。(鏡の中の自分は適度な刺激を含んだ端正なアゴをしている)

さらに最近思うに、アゴが伸びている。昔の写真と比べても、それはもう確実に伸びている。顔面を真横から見た場合、三日月でいうところの下の弧の先端部分が、上へ上へと突き上げてきている。だから正確には、アゴが巻いてきていると言った方が正しい。

インドネシアのジャワ島に住む、バビルサというイノシシのような珍獣は、伸び続ける自分の牙が額に突き刺さって死ぬことがあるという。僕には昔から、何か50歳になる前に死んでいる予感があるのだけれど、ようやく理由が解った。

僕は40代の後半、巻いた自分のアゴに脳髄を貫かれて息絶える。これはどうやら、避けられない運命らしい。

▲バビルサ。己の命をも脅かす牙の用途は未だわかっていない…

2014年5月2日金曜日

第二回京都国際写真祭・KYOTOGRAPHIE

春の陽気の鴨川沿いを、風を切って進むのは気持ち良かった。

先日、京都国際写真祭・KYOTOGRAPHIEへ足を運んだ。KYOTOGRAPHIEは春の京都市内を舞台に、伝統文化と現代アートの融合を図る国際写真フェスティバル。公式サイトはビジュアル重視で少し分かりにくいが(しかもちょこちょこ閲覧不能になる http://www.kyotographie.jp/)、9カ国の名だたる写真家たちが、京都の各地でイケてるお写真飾ってまっせっていうイベント。第二回を迎える今回は「Our Environments ~私たちを取り巻く環境~」がテーマ。

展示会場は15カ所。京都駅ビルや廃校を利用した芸術センター、古民家を改装したギャラリー、世界遺産・下鴨神社境内などさまざまで、古都・京都と作品が織りなす新鮮な空間を楽しめる。会場の距離はそれほど離れていないので、レンタサイクルで回った。京都の街の構造上、道に迷う心配も少ないし、借りた場所と違う店舗で返却できるサービスもある(レンタサイクルえむじか http://emusica-dmcy.com/)。なにより、寄り道しながらゆっくり街を堪能できるのでおすすめだ。

以下、回った7つの展示を簡潔に紹介する。数字は会場に割り振られた番号。

3「Supernature フランス国立造形芸術センター(CNAP)コレクション」

作家:マルセル・ディナエ、ミカエル・フォン・グラフェンリード、アドリアン・ミシカ
会場:京都芸術センター(廃校)
・複数の映像作品を展示
・会場の明倫小学校跡は、細部に凝った意匠が施されている。
・吹き出す天然ガスにより燃え続ける、大地にあいた大穴の映像。かつて、炭鉱内に充満したガスを燃焼させるために火を放ち、天井が崩落したもの。有識者の計算では1カ月で燃え尽きるはずだったが、現在に至るまで何十年も燃え続けている。(教室跡)
・生命の根源である、沸き出す泉の映像(茶道室?)
・南国の浜辺にそびえる巨大な朽木と、人々の関係を撮影した映像。直前に重い作品を見て沈んでいたので、非常に癒された。(階段踊り場)

5「眼から心への細糸」

作家:スタンリー・グリーン
会場:誉田屋源兵衛 黒蔵
・町家風の会場。巨大なレンガの円柱に蔵が突き刺さったような建物。
・駐輪禁止……
▲のれんの奥に例の蔵がある

▼同じ通路。天井が抜かれている…のかなぁ?

・海面上昇により、伝統的な狩猟生活の危機に瀕するイヌイットの写真。それでも彼らは数々の犠牲を払いながら狩猟を続けている。傾いた陽を浴びて金色に染まる氷の大地は美しい。
・世界各地の戦争写真。上階には作者自身の半生を描いた短い映像作品がある。連射される機関銃の音が、今も耳にこびりついて離れない。


6「火星 - 未知なる地表」

作家:グザヴィエ・バラル
会場:京都文化博物館 別館
・NASAの衛星によって撮影された、高解像度の火星の地表写真。足下には天文学者による、科学に基づいた地表の解説が添えられている。
・地表写真とアーティスト・高谷史郎がコラボレーションした、映像インスタレーション作品がある。会場には無印良品のいわゆる「人間をダメにするソファ」が設けられており、映像を星空のように見上げて観賞できる。また、天井から吊られた4体の全方位スピーカーにより、どの方向からも均等に音が聴こえる工夫がなされている。ずっと眺めていると、宇宙の誕生、0から1が生まれる瞬間に立ち会っているような気分になる。

7「More Than Human」

作家:ティム・フラック
会場:嶋臺(しまだい)ギャラリー
▲ビルが建ち並ぶ大通りに突如現れる嶋臺ギャラリー

・動物や昆虫たちの写真。
・今回一番の目玉なのか、市内に貼ってあるKYOTOGRAPHIEのポスターにはここのホワイトタイガーの写真が用いられている。
・「More Than Human」のテーマ通り、額縁に納められた動物達の表情は人間以上に……。
・神秘的で、禍々しく、哀愁を湛えた瞳は愛おしい。
・凛々しく、蠱惑的で、訴求力に満ちた個の肉体が躍動している。
・上のような、時には相反する感情が、次から次へと浮かんでは消えていった。
・総括すると、すばらしいの一言。

9「Where We Belong」

作家:瀧澤 明子
会場:虎屋 京都ギャラリー
・約150年前フランスで生まれた、コロタイプという技法で印刷された写真。
・建築家・内藤廣氏が手がけた喫茶併設のモダンな会場。ヨウカンのパイオニア・虎屋が運営する。
・写真の中の人々は、あちらの世界とこちらの世界の狭間を彷徨する住人のよう。こちらは果たしてこちらなのか。あちらがこちらで、こちらがあちらなのか。その境界は実に曖昧で不確かだ。

10「STILL CRAZY nuclear power plants as seen in japanese landscapes」

作家:広川 泰士
会場:下鴨神社 細殿
▲細殿の外観。KYOTOGRAPHIEの赤いのぼりがはためく

▼中はすえた木の香り。柱には虫に食われた跡があった 

・この細殿、普段は入れなさそう。
・おもに20世紀に撮影された、日本の原子力発電所の写真。
・以下、作者コンセプトを一部拝借させて頂く。半減期(放射能が抜けるまでの期間)214万年の物質を含む高レベル放射性廃棄物を、後世に残す。我々はその責任を負えるのか?ウラニウムはネイティブな人たちの聖地を暴いて採掘されたものもある。いっそ、核廃棄物保管場にしめ縄でも張り巡らして聖地とし、後世の世代へ「決して近づいてはいけない、掘り返してはいけない」と、言い伝えでも残したらどうだろうか。後の世代が存在していればの話だが。
・上記の原発と放射性廃棄物への秀逸な皮肉と、採掘場となったネイティブの聖域、会場である下鴨神社の境内が「聖地」という点で呼応している。
・KYOTOGRAPHIEには多数の大企業が協賛として名を連ねている。経済に疎い私の中には、経団連をはじめ大企業には原発推進派が多いイメージがある。もしそうだとすれば、原発再稼働を推し進める企業の出資によって、反原発の写真を展示していることになり、これもまた皮肉なことだと感じた。
・ここで昼食を摂った。鶯の声を聴きながら、新緑からのぞく木漏れ日のなかで食べるパンは最高だった。

11「Supernature フランス国立造形芸術センター(CNAP)コレクション」

作者:マリア・テレザ・アルヴェス、エリック・サマック
会場:アンスティチュ・フランセ関西
・トカゲの皮膚を接写で撮影した映像。ものすごい立派な解説が添えられているが、トカゲ好きなだけちゃうんか。(スタッフの方によると作者のトカゲ愛は常軌を逸しているらしい)
・セネガルの路傍を定点観測した映像。ヘッドホンを装着するも音声がスペイン語で全く理解できない。スタッフの方に話を伺ったところ、この地には家畜を風葬する習わしがあった。しかし、その習慣は時代とともに忘れられ、風葬の地はただの空き地になってしまった。そこを作者が撮影し続けるとどのような変化が起きるか、という実験的な映像らしい。結果は……現地でご覧ください。
・会場は洋館といった感じ。1階にはカフェがあり、これは一緒に回った知人が気づいたのだが、BGMが流れていない。自然光のみのやや薄暗い部屋で、人々の話し声や食器の音が高い天井にこだまする。文字にするといかにも息が詰まりそうだが、開放的で押し付けがましくない自由な空間に感じた。


以上の7会場をゆったり回って、所要時間は6時間ほど。1日で全て見るのは厳しいかもしれない。ただ、これを書いたのは巡ってから1週間後になるのだが、今も作品の様子をありありと思い浮かべることができる。私は普段一晩で忘れてしまう場合あるので、それだけ刺激的な展示だったのだろう。第三回も楽しみ。京都国際写真祭・KYOTOGRAPHIEは15会場のほかにも「KG+ Kyotographie satellite event」と銘打った、51会場、約200人のアーティストによる写真にまつわる催しがあるらしい。

会期は2014年5月11日(日)まで。
印象深い良い一日だった。

最後にもう一度貼っておきます。
http://www.kyotographie.jp

2014年3月25日火曜日

相撲初観戦(平成26年春場所・中日)

 生とテレビの一番の差は音にあった。肉と肉がぶつかる音。荘厳で暖かい行司の声。力士がケツを叩く音。一進一退の攻防を見守る観客のどよめき。それらが振動となって館内に飛び散り、身体に響く。ドーパミンが分泌されるのがわかる。

 春場所・中日(8日目)の大阪府立体育館は日曜日ということもあって満員御礼。初めて集中して幕内全取り組みを見たことによるかもしれないが、この日は良い試合が多かったように思う。体重120kgの里山が200kgの臥牙丸を投げ飛ばし、未来の結びの一番とも言える遠藤vs大砂嵐では、土俵際に追いつめられた遠藤の大逆転勝利に、空間が裂けるような大歓声が起こった。

▲満員御礼の垂れ幕が下がる大阪府立体育館

 春場所は力士と観客の距離が格段に近い。席を探してうろついていると出番前の力士がアップしていたり、売店に並んでいる際に戦いを終えた力士がすぐそばを引き上げていったりする。間近で見た力士の身体は気力に満ちていて、戦うためのボディだと思った。中でも横綱・白鵬の土俵入りは圧巻で、はち切れる程のパワーが太ももから腰にかけてみなぎっているのが遠目からでもわかった。この世界に最強の男として君臨していることに納得し、あんな奴には絶対に勝てないと思った。かっこ良かった。横綱になりたいと思った。

▲通路で出番を待つ力士と通りすがりのおばちゃん

 大阪場所ということで、関西出身のご当地力士へは熱い声援が送られる。豪栄道や勢ら大阪出身力士が出てくると口々に名を叫んだり、声を揃えて「ゴウ・エイ・ドウ! ゴウ・エイ・ドウ!」「イキオイ!チャチャチャ! イキオイ!チャチャチャ!(手拍子)」というような、現代において最もシンプルで原始的な応援が行われていた。

 また、2階席の一角には高齢者およそ5、60人が陣取っていた。幕下の北磻磨という、兵庫県出身力士の大応援団だ。おそらくマイクロバスをチャーターして駆けつけたのだろう。呼び出しが終わると、姿勢を正した背広姿の応援団長が通路に現れ「フレ~!フレ~!キタハリマッ!」と先陣を切る。横断幕を掲げ頭にハチマキを巻いた団員は、そのあとに続いて声を張り上げる。あんな魂を削るようなじじばばの絶叫は、日常生活ではなかなか聞けない。応援の甲斐あってか、結果は北磻磨の勝利。2階席は歓喜に包まれ、場内からは暖かい拍手がこぼれた。同じ地方に住んでいたというだけで精一杯エールを送る応援団の姿には、地域性が失われつつある昨今にはない温もりがあった。

▲勝利に沸く北磻磨の応援団

 相撲を見にいく上でネックになるのはチケット代だろう。高額なうえに、前列を占める枡席は4席単位でしか購入できない。相撲のために10,000円払う人を3人探すのは厳しい。ペアの枡席も用意されているが、人気のためにすぐに売り切れてしまう。私はこの日、1席単位で販売されている2階席で観戦した。土俵から遠いのではないか。素人でも大丈夫か。枡席でないと、それ以前に両国国技館でないと本来の雰囲気は味わえないのではないか。当初のそんな不安は、場内の空気を吸った瞬間すべて消し飛んだ。相撲は楽しい。少しでも興味がある人は、ぜひ一度会場に足を運んでほしい。特に、日本酒 × あたりめ × 相撲。この取り合わせは最高だ。

▲幕内力士の土俵入り

2014年3月3日月曜日

日清のUFOについて

極限の空腹時にUFOを思いっきりすすった時の感覚は、
うまいとかおいしいとか、そんな生ぬるいもんじゃない。

弾力のある麺を噛み切る振動が歯を伝い、
ごちソースの芳醇な香りが湯気とともに鼻の穴を駆け巡る。

味覚を突き抜けた快楽。
もし僕に満腹中枢というリミッターがついていなければ、
肥大した自分の肉で窒息するまでUFOをすすり続けると思う。

UFOは、気持ちいい。
こんなことを月曜日の早朝に書いてる奴は、気持ち悪い。

2014年2月20日木曜日

帽子の中の言葉

トリスタン・ツァラの「帽子の中の言葉」をやってみました。
方法は簡単で、新聞の単語をハサミで切り取って袋に詰め、
くじびきの要領で引いた言葉を、順番に記録するだけです。

解体されてつながりを失った2014年2月19日・毎日新聞朝刊の1面はこんな感じでした。

■ ■ ■ ■

白十字コリアンタウンの
防衛関係者の日本全敗
血の出るようなバリ島南部デンパサール沖の
押し上げたとけ込もうとしない気圧の谷や永住権が法律家の有機水銀へ
コンプレックスが(故人)を僕のレースは記録的な対面し
複合の大打撃を45日間突破の暁はその後、と言った
33秒差で漂流する集落は
強い灯油の孤立が一般社団法人手足の
解け出す深まって返上する


2014年2月8日土曜日

ソチ五輪開会式

ロシア選手団入場の際に、ここぞとばかりに流れるt.A.T.u。
クラッシックの定番・剣の舞とt.A.T.uのミックス。
DaftPunkとt.A.T.uのマッシュアップ。
どんだけタトゥー推すねん。

ロシアの歴史のショー
大航海時代 → ピョートル大帝 → 帝政ロシア → 華やかな舞踏会 → トルストイの戦争と平和のバレエ → 社会主義とロシアアヴァンギャルド → 世界大戦 → 旧ソビエト時代のモスクワの復興と発展 → ベビーブームと現代

イチ押しは“社会主義とロシアアヴァンギャルド”

戦争と平和のバレエに、蒸気機関車が突っ込んできた時が一番興奮した。
会場は社会主義を象徴する赤に染められ、デフォルメされたパーツに解体された蒸気機関車が、科学発展・技術革新に向けて宙を邁進する。
その下には、銀色のタイツに身を包み、表情を消して無機質な動きを反復する無数のダンサー。
この場面に創られたかのような力強い音楽は、スヴィリードフという作曲家の「時よ、前進!」という曲らしい。

ロシアアヴァンギャルド、かっこいい。
弾圧されたけど。
このままがんばって起きて、再放送でもう一回開会式見ようかな。




2014年2月7日金曜日

衣の支配

佐村河内守さんの「耳が聞こえないと感じたことはない」 ゴーストライター新垣隆さんの会見全文
http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/05/ghost-writer_n_4734967.html?utm_hp_ref=fb&src=sp&comm_ref=false

ゴーストライターを使ったことには、そこまで抵抗を感じない。佐村河内氏が伝えたイメージに、ゴーストライター・新垣氏のインスピレーションは反応していたようだし、この方法によってしか誕生し得なかった曲がこの世に生まれたはずだ。

ただ、聴力がないことを装って一人富を得たのは、薄汚い。聴覚障害者への侮辱に加え、ヒューマニズムを利用し、音楽に人生を捧げる他の作曲家たちを出し抜く“禁じ手”を使った訳だ。これが事実だった場合、こいつは嘘つきだ。悪人だ。

では、嘘つきが創った曲は悪か?
莫迦な。

氏を応援していた君の感覚が酔いしれた曲は、何も変わらず目の前にある。好きなだけ聴けば良い。もし聴く気がなくなったと言うのならば、君が聴いていたのは音楽ではなく、聴覚がない被爆二世という衣を纏った、空白だ。

楽曲の背景も踏まえなければ聴こえない想いもあると思うが、音そのものがあまりに軽視されすぎている。“禁じ手”が通用することがおかしい。与えられたものしか食べていないから、自分の感覚を信用できなくなる。

どんな人間が創ったって、名曲だったものには心を揺さぶる名曲の要素があるはずだ。